第8話 大人
それは僅かに湿気を含んだ心地よい風が肌をなでつける春先の午後であった。月島はそんな中、水路が美しく張り巡らされている都会の一角を一人で歩いている。本来であれば水曜日の今頃は循環器外来の診療を(うまくいけばであるが)なんとか終えて、病院の運営会議に参加している時間帯ではあるが、今日は用事があると言って三時前に病院を出た。自分で勤務時間を調整できる管理職であるため、外出や早退にいちいち誰かの許可を取る必要はない。秘書に一言、声をかけておけば問題はない。水路に沿う歩行者専用路から見上げるビルには、慌ただしく動いているスーツ姿の男女が散見される。サラリーマンにとっては最も仕事がはかどる時間帯かもしれない。しかしそんなつまらない想いは月島の頭の中からすぐに霧散した。今夜は妻とバレエを楽しむ予定なのだ。監修は月島が最も好んでいるバレエダンサーで、今夜の演目はチャイコフスキーが作曲を手掛けたことでも有名な白鳥の湖だ。
開演は六時三十分である。月島は妻と五時にホール近くのバルで待ち合わせをすることにした。少し腹ごしらえをしてからバレエを楽しむ算段だ。洒落たレストランでコース料理を堪能してもよかったが、妻は食が驚くほど細い。月島もフルコースを終え、ほろ酔い状態での二時間半のバレエ鑑賞はどうしたものかと思っていた。想定外に退屈な場面が続いて睡魔に襲われても困る。チャイコフスキーの心地よい音楽が加わればなおさらだ。彼の音楽はシンプルではあるが、そのシンプルさゆえに、メロディーの美しさが際立つ。もっとも、このロマン派の名作曲家の音楽には、ロシア特有の──彼の性格にも起因する部分もあると思われるが──いつまでも続く曇天のような陰鬱さが隠しきれない。これはベートーベンのような怒りに基づく暗さではなく、モーツァルトのような破天荒の陽気さに潜む暗さとも違う。
月島は歩きながら、昔のことを思い出している自分に気が付いた。それはちょうど彼が初期研修医、つまり医学部を卒業後に医師免許を取得した年のことだ。季節は確か冬だったと思う。当時、妻と付き合って既に数年がたっていた。二人でいろいろなところに行ったが、一度だけバレエを見たことがあった。確か彼女の方から興味があると言い出したからだと思う。自ら希望を述べる女性ではなかったため、月島の頭の片隅に残っていたのだろう。そしてその舞台は今回と同じホールである。主役のダンサーは英国のロイヤル・バレエ団のプリンシパルを務めた日本人で、今回の白鳥の湖を演出するバレエ団の運営者だ。当時の題目が何であったか、どんな演出であったか、それはもう忘れてしまった。しかし彼の切れのあるステップに続く滞空時間の長い跳躍、そして静かでエレガントな着地にとても感動したことだけは記憶に残っている。理系人間の月島は、その時にアイザックニュートンの万有引力の法則を思い出したが、そんなことは今となってはどうでもいい(もちろん当時でもどうでもいいことだ)。ともかくそれ以来、二人とも彼のファンになったことは間違いない。ずいぶんと間が空いてしまったが、今回が待ち望んだ再会である。
*
月島は当時の記憶が少しずつ蘇ってくるのに気が付いた。誰もいない山の奥で、岩の隙間からちょろちょろと湧き出す水源のような感じとでも表現できるだろうか。それは研修医時代の働く環境など全く考慮されなかった時代の記憶だ。現在の研修医は労働時間が厳密に守られて、例えば当直明けの勤務などもってのほかである。月島が働いているモカネ病院では、彼らの帰宅時間は平均五時半だそうだ(指導医はこれよりもはるかに遅い)。研修医はさまざまなカンファレンスに出席するが、時間外にならないよう細心の注意を払う必要がある。月島がかって経験した状況とは隔世の感がある。当時の研修医は朝の七時から夜中まで、当たり前のように働いていた。土日や休日はそこまでではないとしても、とにかくよく働いた。正確に言うと、働くというより病院で過ごす時間がすこぶる長かった。循環器内科という科を選択した以上、自分の時間がないことは覚悟していたが、不満だったのは、自分でスケジュールが組めなかったことである。常に上級医からの指示に従う必要があった。また先輩医師が病棟で仕事をしているのに、先に帰ることなど許されない雰囲気があった。しかも自分の部屋はおろか自分の机すらないのだ。大学病院から与えられたのは、小さなロッカー一つだけである。縦横四十センチ程で、数冊の医学書と通勤時のジャンパーを押し込めば、文字通りパンパンになってしまう。
妻(当時の彼女)と初めてバレエを見に行った週は特に多忙だった。研修医なので外来業務はないが、月曜日から金曜日まで、カテーテル手術で埋め尽くされている一週間であった。もちろんバレエに行く日にも──今回と同じく水曜日だった気がしている──午前と午後はいずれもカテーテル手術で、合併症なく順調に終了しても六時くらいになるだろうか。大学病院から会場のホールまで一時間程度を要する。先輩が働いているのを横目に、こそっと病院を抜け出し無事に会場に到着できたとしても、なにか腹ごしらえをしてという訳にはいかない。会場に着いたらすぐに席に座って開演である。詳細は思い出せないが、実際にホールの入り口で待つ彼女を見つけて、開演になんとか間に会って着席したはずだ。お腹が空いているなどと考えもしなかった。そして元プリンシパルの登場である。切れ味の鋭い彼のパフォーマンスにすべてを忘れて没入できたことだけは覚えている。
ショーが終わったのは九時を少し回っていたと思う。当時、まだ音大の学生だった彼女の門限は九時であった。そしてその日は初めて彼女が門限を破った夜であった。もっとも会場を出た後は、食事をするわけでもなく彼女は急いで自宅に向かった。そして月島は大学病院に折り返した。本日の症例の術後経過を確認するためと、明日の手術予定症例の予習をするためである。とても重要な儀式と信じて深夜の病棟でカルテとにらめっこをしていたように思うが、卒後一年目の研修医ができることなどたかが知れている。正直、いてもいなくても大勢に影響はないと思われるが、当時は大まじめに頑張っていた。そういえば会場を出たとき、都会には珍しく雪がちらついていた。そして別れ際に一瞬触れた彼女の手の温もりが心地よかった。
*
話をもとに戻そう。今は誰に気兼ねすることもなく、病院をでることができる。開演前に二人でバルで落ち合う。前もってスマホで予約しているため席を心配する必要はない。その店の天井はとても高く、ガラス越しに水路が美しく配置されている。テーブルは窓際で都会の喧騒を忘れさせてくれる。料理は洗練され、ふさわしいワインがリストに並ぶ。それなりのコストはかかるが気にならない。そして時間に余裕をもって席に着く。開演前にはステージ前のピットでオーケストラの音合わせが始まる。観客はおのおの会話を楽しんでいる。オーケストラの調整も滞りなく済む。特に何かの合図があるわけではないが、皆が自然と鎮まる。そして会場が暗くなる。一瞬の静寂があたりを包む。チャイコフスキーの甘美なメロディーとともに、幕が上がる。刹那の間に月島はこんなことを考えた。
研修医時代とは全てが異なる。想像もできないような、優雅な時間である。子供の頃になんとなく想像していた大人の世界かもしれない。バルで妻と落ち合うにはまだ少し時間がある。月島は整備が行き届いた水路わきのベンチに腰を下ろした。大きく育った街路樹が、少し強くなってきた日差しを、適度に遮蔽してくれる。新緑と相まって、光が僅かに着色されているように感じる。車道とは少し離れているため、水のせせらぎが聴こえてくる。心地よい風がシャツを通り抜けて肌に触れてくるようだ。こんな落ち着いた春先の午後を過ごしたのは一体、いつ以来だろう。そんなことを考えていると少し眠気が差してきた。病院で、こんな風に感じることは決してない。そんな時間はないのだ。必ず何かをしている。臨床に従事し、合間に最新の医学事情を調べ︙︙そんなことを考えてると、いつもの悪い癖で病院のことを思い出した。部下の櫻木は今頃、ペースメーカの植込みを行っているはずだ。確か今週初めに連続して紹介があった症候性徐脈例に対して、縦で手術をやると言っていた。縦というのは続けて二症例とう意味だ。医師事務のあさPは他の循環器メンバーの外来をサポートしているだろう。患者支援室の姫隘路は──そこで月島は頭のスイッチをそっと切った。今、考えることではない。今日は妻と大人の時間を楽しむのだ。
*
バレエは素晴らしい内容で前半の幕が下りた。実は月島は今回の演題である白鳥の湖のストーリをあまり知らない。開演間にスマホを使って調べようとしたが、どうやら会場内ではインターネットが遮断されているようである。席は三階の出口に近かったが、スマホのアンテナは一本も立っていない。幕間に扉を出て通路に行くとインターネットは問題なく繋がった。そして白鳥の湖の大まかな流れを理解することができた。後半の見どころも理解した。事前に調べておけばよかったといつも思うが、なんど同じ経験をしても月島が実際に前もって調べることはほとんどない。知ると安堵できるが、驚きが減ってしまう。そんなのはつまらない。調べることが当たり前で、そして知ることが容易になってしまった時代の弊害だ。しかしインターネットの遮断はもちろん可能だが、こんな扉の内と外で完全にコントロールすることはできるのだろうか。電波は壁なんて容易にすり抜ける。物理的な遮断は可能であるが、簡単ではないはずだ。月島は気になった。
話は少し変わるが、病院では人体の構造を評価するため医療放射線を利用する。レントゲンやCTをイメージすれば分かりやすい。月島や櫻木が行う心臓のカテーテル手術にも、放射線は必須である。この放射線はなんでもすり抜けるが、鉛は通過できない。よって循環器内科医はアンギオ室では、術衣の上に鉛でできた防護服を着る。櫻木などは鉛の入った防護グラスや頚部のプロテクターも装着する。放射線障害の蓄積による白内障あるいは甲状腺疾患の発症を防ぐためである。月島は鉛の防護服は着用するが、それ以外を装着することはあまりない。決して放射線を軽視しているわけではないが、カテーテル手術に従事する機会が減ってきたからだ。放射線障害は主として確定的影響なのだ。つまり確率的に障害が発生するよりも、累積による閾値が存在すると考えられている。インターネットの電波を、放射線に対する鉛のように、簡単で確実に物理的遮断する方法なんてあるのだろうか? あるとしたらどんな手法なのだろうか? インターネットで調べようと思っているところで、後半が間もなく開始されるというアナウンスが流れた。月島はやれやれと思いながら席に戻った。妻はすでに着席していた。
ストーリーを理解した上で見るバレエは、月島の解釈をより深いものにした。王子であるジークフリートと白鳥の姿に変えられたオデット姫のやり取りが、切ないほどはっきりと、心に焼き付けられた。終幕前の黒鳥となったオデットの三十二回転──正確にはグランフェッテ・アン・トゥールナンと呼ばれているそうだ──はさすがに圧巻だった。閉幕後に拍手が鳴りやまず、その後に六回も幕が上げられた。その都度、女性ダンサーが舞台で見せるお礼の姿勢がとても人間ワザとは思えなかった。ただでさえ長い手足を、まるで白鳥であるかのように(もっとも白鳥がお礼をするシーンなんて見たことはないが)、聴衆に感謝の意を示している。このシーンは月島の頭の中で何度も繰り返された。会場が明るくなった後に拍手は少しずつまばらになり、ようやく観客は立って出口に向かった。
月島も妻と帰途についた。九時半を少し回っていたが、周囲の高層ビルにはまだ明かりが煌々と灯っている。会場から地下鉄の駅までは、高い街灯に照らされた歩行者専用路を歩いて十分程の距離である。向かいの水路に架けられた、欄干に彫刻の施された小さな橋を渡るときに、月島は彼のスマホで妻と二人の写真を撮った。満ち足りた大人の笑顔の背後に会場が写り込んでいる。初めてバレエを見に来た時の写真があったらよかったのにと思ったが、確か当時はスマホにカメラ機能なんて備わっていなかった。スマホ時代が幕開ける直前のポケベル時代だったかもしれない。写真の中の妻の笑顔がとても美しいと思った。月島の雰囲気も悪くはない。前回のデートより年月は経ているが、お互いにいい歳を重ねてきているのだろう。
*
「大人になるということは?」月島は歩きながらふと考えた。都会の真ん中で、女性と待ち合わせをして、おしゃれなバルに立ち寄った後、洗練されたショーを観る︙︙まさに今日、月島が行ったことだ。そう、月島はいつのころからか、そういう身分になっている。循環器内科医という職業、総合病院の副院長という役職、さまざまな人間がうごめく都会の中では特に目立つわけではないが、とても恵まれた状況であることには疑う余地はない。彼は自分が立派な大人になったのかと自ら問うてみた。しかしすぐさま、いやとか何とか言って、よい加減にごまかした。成程、周囲の人からみれば彼は立派な大人なのかもしれない。けれどもやはり、大人になったという実感は今もって感じたことがない。そう、大人のふりを続けているのだ。心の中は妻と初めてここを訪れた時となんら変わっていない。妻と出会う前、いやもっと子供の頃と何も変わっていないのだ。心は今でも子供のままなのだろう。そして一生懸命に大人のふりを続けているのだ。でもそれでいいのだと月島は思った。
*
やがて地下鉄の入り口が見えてきた。
開演は六時三十分である。月島は妻と五時にホール近くのバルで待ち合わせをすることにした。少し腹ごしらえをしてからバレエを楽しむ算段だ。洒落たレストランでコース料理を堪能してもよかったが、妻は食が驚くほど細い。月島もフルコースを終え、ほろ酔い状態での二時間半のバレエ鑑賞はどうしたものかと思っていた。想定外に退屈な場面が続いて睡魔に襲われても困る。チャイコフスキーの心地よい音楽が加わればなおさらだ。彼の音楽はシンプルではあるが、そのシンプルさゆえに、メロディーの美しさが際立つ。もっとも、このロマン派の名作曲家の音楽には、ロシア特有の──彼の性格にも起因する部分もあると思われるが──いつまでも続く曇天のような陰鬱さが隠しきれない。これはベートーベンのような怒りに基づく暗さではなく、モーツァルトのような破天荒の陽気さに潜む暗さとも違う。
月島は歩きながら、昔のことを思い出している自分に気が付いた。それはちょうど彼が初期研修医、つまり医学部を卒業後に医師免許を取得した年のことだ。季節は確か冬だったと思う。当時、妻と付き合って既に数年がたっていた。二人でいろいろなところに行ったが、一度だけバレエを見たことがあった。確か彼女の方から興味があると言い出したからだと思う。自ら希望を述べる女性ではなかったため、月島の頭の片隅に残っていたのだろう。そしてその舞台は今回と同じホールである。主役のダンサーは英国のロイヤル・バレエ団のプリンシパルを務めた日本人で、今回の白鳥の湖を演出するバレエ団の運営者だ。当時の題目が何であったか、どんな演出であったか、それはもう忘れてしまった。しかし彼の切れのあるステップに続く滞空時間の長い跳躍、そして静かでエレガントな着地にとても感動したことだけは記憶に残っている。理系人間の月島は、その時にアイザックニュートンの万有引力の法則を思い出したが、そんなことは今となってはどうでもいい(もちろん当時でもどうでもいいことだ)。ともかくそれ以来、二人とも彼のファンになったことは間違いない。ずいぶんと間が空いてしまったが、今回が待ち望んだ再会である。
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月島は当時の記憶が少しずつ蘇ってくるのに気が付いた。誰もいない山の奥で、岩の隙間からちょろちょろと湧き出す水源のような感じとでも表現できるだろうか。それは研修医時代の働く環境など全く考慮されなかった時代の記憶だ。現在の研修医は労働時間が厳密に守られて、例えば当直明けの勤務などもってのほかである。月島が働いているモカネ病院では、彼らの帰宅時間は平均五時半だそうだ(指導医はこれよりもはるかに遅い)。研修医はさまざまなカンファレンスに出席するが、時間外にならないよう細心の注意を払う必要がある。月島がかって経験した状況とは隔世の感がある。当時の研修医は朝の七時から夜中まで、当たり前のように働いていた。土日や休日はそこまでではないとしても、とにかくよく働いた。正確に言うと、働くというより病院で過ごす時間がすこぶる長かった。循環器内科という科を選択した以上、自分の時間がないことは覚悟していたが、不満だったのは、自分でスケジュールが組めなかったことである。常に上級医からの指示に従う必要があった。また先輩医師が病棟で仕事をしているのに、先に帰ることなど許されない雰囲気があった。しかも自分の部屋はおろか自分の机すらないのだ。大学病院から与えられたのは、小さなロッカー一つだけである。縦横四十センチ程で、数冊の医学書と通勤時のジャンパーを押し込めば、文字通りパンパンになってしまう。
妻(当時の彼女)と初めてバレエを見に行った週は特に多忙だった。研修医なので外来業務はないが、月曜日から金曜日まで、カテーテル手術で埋め尽くされている一週間であった。もちろんバレエに行く日にも──今回と同じく水曜日だった気がしている──午前と午後はいずれもカテーテル手術で、合併症なく順調に終了しても六時くらいになるだろうか。大学病院から会場のホールまで一時間程度を要する。先輩が働いているのを横目に、こそっと病院を抜け出し無事に会場に到着できたとしても、なにか腹ごしらえをしてという訳にはいかない。会場に着いたらすぐに席に座って開演である。詳細は思い出せないが、実際にホールの入り口で待つ彼女を見つけて、開演になんとか間に会って着席したはずだ。お腹が空いているなどと考えもしなかった。そして元プリンシパルの登場である。切れ味の鋭い彼のパフォーマンスにすべてを忘れて没入できたことだけは覚えている。
ショーが終わったのは九時を少し回っていたと思う。当時、まだ音大の学生だった彼女の門限は九時であった。そしてその日は初めて彼女が門限を破った夜であった。もっとも会場を出た後は、食事をするわけでもなく彼女は急いで自宅に向かった。そして月島は大学病院に折り返した。本日の症例の術後経過を確認するためと、明日の手術予定症例の予習をするためである。とても重要な儀式と信じて深夜の病棟でカルテとにらめっこをしていたように思うが、卒後一年目の研修医ができることなどたかが知れている。正直、いてもいなくても大勢に影響はないと思われるが、当時は大まじめに頑張っていた。そういえば会場を出たとき、都会には珍しく雪がちらついていた。そして別れ際に一瞬触れた彼女の手の温もりが心地よかった。
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話をもとに戻そう。今は誰に気兼ねすることもなく、病院をでることができる。開演前に二人でバルで落ち合う。前もってスマホで予約しているため席を心配する必要はない。その店の天井はとても高く、ガラス越しに水路が美しく配置されている。テーブルは窓際で都会の喧騒を忘れさせてくれる。料理は洗練され、ふさわしいワインがリストに並ぶ。それなりのコストはかかるが気にならない。そして時間に余裕をもって席に着く。開演前にはステージ前のピットでオーケストラの音合わせが始まる。観客はおのおの会話を楽しんでいる。オーケストラの調整も滞りなく済む。特に何かの合図があるわけではないが、皆が自然と鎮まる。そして会場が暗くなる。一瞬の静寂があたりを包む。チャイコフスキーの甘美なメロディーとともに、幕が上がる。刹那の間に月島はこんなことを考えた。
研修医時代とは全てが異なる。想像もできないような、優雅な時間である。子供の頃になんとなく想像していた大人の世界かもしれない。バルで妻と落ち合うにはまだ少し時間がある。月島は整備が行き届いた水路わきのベンチに腰を下ろした。大きく育った街路樹が、少し強くなってきた日差しを、適度に遮蔽してくれる。新緑と相まって、光が僅かに着色されているように感じる。車道とは少し離れているため、水のせせらぎが聴こえてくる。心地よい風がシャツを通り抜けて肌に触れてくるようだ。こんな落ち着いた春先の午後を過ごしたのは一体、いつ以来だろう。そんなことを考えていると少し眠気が差してきた。病院で、こんな風に感じることは決してない。そんな時間はないのだ。必ず何かをしている。臨床に従事し、合間に最新の医学事情を調べ︙︙そんなことを考えてると、いつもの悪い癖で病院のことを思い出した。部下の櫻木は今頃、ペースメーカの植込みを行っているはずだ。確か今週初めに連続して紹介があった症候性徐脈例に対して、縦で手術をやると言っていた。縦というのは続けて二症例とう意味だ。医師事務のあさPは他の循環器メンバーの外来をサポートしているだろう。患者支援室の姫隘路は──そこで月島は頭のスイッチをそっと切った。今、考えることではない。今日は妻と大人の時間を楽しむのだ。
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バレエは素晴らしい内容で前半の幕が下りた。実は月島は今回の演題である白鳥の湖のストーリをあまり知らない。開演間にスマホを使って調べようとしたが、どうやら会場内ではインターネットが遮断されているようである。席は三階の出口に近かったが、スマホのアンテナは一本も立っていない。幕間に扉を出て通路に行くとインターネットは問題なく繋がった。そして白鳥の湖の大まかな流れを理解することができた。後半の見どころも理解した。事前に調べておけばよかったといつも思うが、なんど同じ経験をしても月島が実際に前もって調べることはほとんどない。知ると安堵できるが、驚きが減ってしまう。そんなのはつまらない。調べることが当たり前で、そして知ることが容易になってしまった時代の弊害だ。しかしインターネットの遮断はもちろん可能だが、こんな扉の内と外で完全にコントロールすることはできるのだろうか。電波は壁なんて容易にすり抜ける。物理的な遮断は可能であるが、簡単ではないはずだ。月島は気になった。
話は少し変わるが、病院では人体の構造を評価するため医療放射線を利用する。レントゲンやCTをイメージすれば分かりやすい。月島や櫻木が行う心臓のカテーテル手術にも、放射線は必須である。この放射線はなんでもすり抜けるが、鉛は通過できない。よって循環器内科医はアンギオ室では、術衣の上に鉛でできた防護服を着る。櫻木などは鉛の入った防護グラスや頚部のプロテクターも装着する。放射線障害の蓄積による白内障あるいは甲状腺疾患の発症を防ぐためである。月島は鉛の防護服は着用するが、それ以外を装着することはあまりない。決して放射線を軽視しているわけではないが、カテーテル手術に従事する機会が減ってきたからだ。放射線障害は主として確定的影響なのだ。つまり確率的に障害が発生するよりも、累積による閾値が存在すると考えられている。インターネットの電波を、放射線に対する鉛のように、簡単で確実に物理的遮断する方法なんてあるのだろうか? あるとしたらどんな手法なのだろうか? インターネットで調べようと思っているところで、後半が間もなく開始されるというアナウンスが流れた。月島はやれやれと思いながら席に戻った。妻はすでに着席していた。
ストーリーを理解した上で見るバレエは、月島の解釈をより深いものにした。王子であるジークフリートと白鳥の姿に変えられたオデット姫のやり取りが、切ないほどはっきりと、心に焼き付けられた。終幕前の黒鳥となったオデットの三十二回転──正確にはグランフェッテ・アン・トゥールナンと呼ばれているそうだ──はさすがに圧巻だった。閉幕後に拍手が鳴りやまず、その後に六回も幕が上げられた。その都度、女性ダンサーが舞台で見せるお礼の姿勢がとても人間ワザとは思えなかった。ただでさえ長い手足を、まるで白鳥であるかのように(もっとも白鳥がお礼をするシーンなんて見たことはないが)、聴衆に感謝の意を示している。このシーンは月島の頭の中で何度も繰り返された。会場が明るくなった後に拍手は少しずつまばらになり、ようやく観客は立って出口に向かった。
月島も妻と帰途についた。九時半を少し回っていたが、周囲の高層ビルにはまだ明かりが煌々と灯っている。会場から地下鉄の駅までは、高い街灯に照らされた歩行者専用路を歩いて十分程の距離である。向かいの水路に架けられた、欄干に彫刻の施された小さな橋を渡るときに、月島は彼のスマホで妻と二人の写真を撮った。満ち足りた大人の笑顔の背後に会場が写り込んでいる。初めてバレエを見に来た時の写真があったらよかったのにと思ったが、確か当時はスマホにカメラ機能なんて備わっていなかった。スマホ時代が幕開ける直前のポケベル時代だったかもしれない。写真の中の妻の笑顔がとても美しいと思った。月島の雰囲気も悪くはない。前回のデートより年月は経ているが、お互いにいい歳を重ねてきているのだろう。
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「大人になるということは?」月島は歩きながらふと考えた。都会の真ん中で、女性と待ち合わせをして、おしゃれなバルに立ち寄った後、洗練されたショーを観る︙︙まさに今日、月島が行ったことだ。そう、月島はいつのころからか、そういう身分になっている。循環器内科医という職業、総合病院の副院長という役職、さまざまな人間がうごめく都会の中では特に目立つわけではないが、とても恵まれた状況であることには疑う余地はない。彼は自分が立派な大人になったのかと自ら問うてみた。しかしすぐさま、いやとか何とか言って、よい加減にごまかした。成程、周囲の人からみれば彼は立派な大人なのかもしれない。けれどもやはり、大人になったという実感は今もって感じたことがない。そう、大人のふりを続けているのだ。心の中は妻と初めてここを訪れた時となんら変わっていない。妻と出会う前、いやもっと子供の頃と何も変わっていないのだ。心は今でも子供のままなのだろう。そして一生懸命に大人のふりを続けているのだ。でもそれでいいのだと月島は思った。
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やがて地下鉄の入り口が見えてきた。